【お菓子で世界史を学ぼう】カトリーヌ・ド・メディシスって何者?

フィナンシェをこよなく愛する♡フィナンシェ好きのHARUKAです。
私が大好きなフィナンシェはフランス菓子なので、フランスのお菓子の歴史を勉強しました。するとどこにでも出てくる女性がいました。彼女の名前は「カトリーヌ・ド・メディシス」高校で世界史を学ばれた方や美術系の方は覚えていらっしゃいますでしょうか。この記事は歴史嫌いな方もお菓子のルーツのお話なので、楽しんでいただけるかと思います。
カトリーヌ・ド・メディシスとは?
1519年(=日本では室町時代)にイタリア・フィレンツェにて銀行業で財をなし政治権力を得たメディチ家(イタリア語ではメディチ/フランス語ではメディシスです。)に生まれました。当時、景気の良いイタリアは芸術・美食の都でした。1533年(=日本では戦国時代)影で商人の娘と馬鹿にされながらも、フランスのヴァロワ朝王家に嫁ぎ、フランス王妃となります。結婚当初は愛人の陰扱いを受けるも、夫の死後に政治の実験を握り、プロテスタントを弾圧、1572年(=日本では安土桃山時代)に「サンバルテルミの虐殺」の黒幕であったとされている世界史的悪女です。
そんな恐ろしい歴史の主人公ですが、フィナンシェを含むフランス菓子が生まれたきっかけとも言われています。フランス王アンリ2世に嫁ぐ際に、嫁入り道具としてイタリアの美味しい料理やお菓子と、それらを作る料理人たちを持ち込み、フランスの食文化を変えたのです。
その時にフランスに持ち込まれたのが…
そう、フィナンシェなどの私たちが大好きなおいしいお菓子です。
カトリーヌ・ド・メディシスが広めたとされるお菓子
1.フィナンシェ

フィナンシェはこのブログの主人公!豊かなバターの風味とアーモンドの香ばしさ、食感は表面がサクサクとした軽い味わいで、中がふんわり柔らかく、長方形の形をしているのが特徴です。材料はバター、卵白、小麦粉、砂糖、アーモンドプードルなどが使われてます。
カトリーヌ・ド・メディシスが持ち込んだ説、フランス独自で発祥した説と諸説あります。
以前の記事ではフランス発祥説の方についてふれていましたね。
「フィナンシェとは?フィナンシェとマドレーヌの違いも徹底解説」の記事はこちら>>
※諸説あります
①カトリーヌ・ド・メディシスが持ち込んだ説

- 16世紀よりも前イタリアで食べられていたフィナンシェらしき焼き菓子
- 16世紀にカトリーヌ・ド・メディシスが結婚でフィナンシェを持ち込む
②フランス発祥説

- 17世紀にフランスの北部の教会でヴェジタンティーヌが作られる
- パリの金融街のお菓子職人が改良してフィナンシェにする
残念ながら、②のフランス発祥説の方が有力視されているようです。ただ時系列的に考えると、ヴェジタンティーヌが作られるよりも先にカトリーヌが渡仏しているので、もしかしたら"イタリア→カトリーヌ・ド・メディシス→フランス北部のヴェジタンティーヌ→パリのフィナンシェ"という歴史の流れがあったのかもしれないし、なかったのかもしれませんね。
しかしながら、上のフィナンシェの参考写真は…フリー素材から持ってきたけど、これはきっと「ノワ・ドゥ・ブール」の焼きたてフィナンシェだと思う( ̄▽ ̄)左が季節限定で、右はバター(プレーン)フィナンシェヲタクは見ただけで分かってしまうのだ。私のレビュー記事もあるので、よかったらこちらもご覧ください。
「ノワ・ドゥ・ブールの焼きたてフィナンシェプレーン」のレビューはこちら>>
2.マカロン

マカロンは卵白とアーモンドを使ったカラフルで可愛らしい焼き菓子。卵白を固く泡立てたメレンゲに砂糖やアーモンドプードルなどを加えて、オーブンで焼き上げた2枚のピンクや黄緑などのパステルカラーのやわらかい生地にクリームをはさんだもの。そんなマカロンは日本でも大ブームになりましたね。フランス菓子のイメージが強いと思います。
こちらも諸説のうちの一つではありますが、実際にカトリーヌ・ド・メディシスがこのカラフルなマカロンを食べていた訳ではなく、その原型とされる「アマレッティ」というお菓子を持ち込んだとされています。(※フィナンシェよりは有力な説です)

アマレッティはイタリアの伝統菓子で、クッキーよりも軽い食感のメレンゲ菓子。小麦粉ではなくアーモンドプードルが使用されています。マカロンと製法が似ていますね。2枚の生地でクリームを挟むことはしていないようです。イタリアの人は戦国時代からこんなハイカラなお菓子を食べていたんですね。日本にはかろうじて西欧から金平糖が伝来していましたね。
アマレッティには、マカロンの生地のようなやわらかいものと、カリッと歯ごたえのある硬いものと種類があるようです。また、このアマレッティというお菓子は日本ではカルディなどで購入可能なようです。(※硬い方)
※こちらも諸説あります
①カトリーヌ・ド・メディシスが持ち込んだ説

- 16世紀にカトリーヌ・ド・メディシスが結婚でアマレッティを持ち込む
- 改良され現在のマカロンが生まれた
②フランス発祥説

- 8世紀にフランスのコルムリー修道院で考案される
- 改良され現在のマカロンが生まれた
3.フロランタン

フロランタンはキャラメルコーティングされたスライスアーモンドがサブレ生地の上に載っている固めの焼き菓子です。美味しいけど歯にくっつく所が悪い点でしょうかね。歯にくっつかないフロランタンがあったら、コメントで教えてください!買います!!
さて、「Florentins(フロランタン)」とは、フランス語で「フィレンツェの」という意味の焼き菓子です。フィレンツェといえばカトリーヌ・ド・メディシスの故郷。今度こそカトリーヌ・ド・メディシスがフランスに伝えたお菓子として断言したいところではございますが、こちらにも諸説があるのです。
※こちらも諸説あります
①カトリーヌ・ド・メディシスが持ち込んだ説

- 16世紀にカトリーヌ・ド・メディシスが結婚でフロランタンを持ち込む
- フランスで人気になる
②フランス発祥説

- パリの「フロラン」という名前の菓子職人が考案
4.アイスクリーム

アイスクリームは牛乳を冷やしながら空気を含ませるように混ぜて凍らせたお菓子です。元々はカトリーヌ・ド・メディシスが暮らした中世よりももっと前、ローマ時代に遡りあのユリウス・カエサルもアイスクリームを食べていたそう。ただし、今のようなアイスクリームの製法は16世紀中頃に作られたそうです。
フィレンツェでメディチ家のために料理人がアイスクリームケーキを半解凍させたズコットを創作し、大評判をうんだよう。

そしてやはりカトリーヌ・ド・メディシスのお嫁入りの際にイタリアからフランスへ持ち込まれたという流れになります。
ズコットの中身は生クリームとフルーツのイメージですが、生クリームではなくアイスクリームが入ってても美味しそうですね。
まとめ
諸説ありではございますが、歴史上の偉人?悪女?女傑?カトリーヌ・ド・メディシスがフランスにもたらしたとされるお菓子のご紹介でした。
世界史の恐ろしい王妃様はスイーツ女子だったんでしょうか。親近感が湧きますね。
スイーツコラムニストのHARUKAもカトリーヌ・ド・メディシスのように将来的に「日本に⚪︎⚪︎を持ち込んだ!フィナンシェをさらに広めた!」というような歴史に名をはせるようになるかもしれませんよ。そんな快挙を見逃さないように本ブログを引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。





